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ポイント解説日本の世界文化遺産

point-1日光の社寺

日本の世界遺産:日光の社寺 修学旅行の観光地としても有名な日光。
江戸幕府を開いた徳川家康が、祀られている神社が有名ですが、それより以前、766年に勝道上人が開き、古くから山岳信仰の霊場としても栄えていました。

世界遺産に登録されたのは1999年。
登録されているのは、日光東照宮と日光二荒山神社、輪王寺の「二社一寺」とこれらをとりまく景観ですが、それだけでも、建物は103棟。しかも、ひとつとして同じスタイルの建物がないのですから、驚きです。

日光山は、杉が御神木とされ、老杉が茂り、太陽の光さえさえぎって空気がひんやりしています。 少し仄暗い道を進んでいくと、突然太陽の光を浴びて燦々と輝く建造物が目に飛び込んでくるのです。それが「日光東照宮」です。

初めて見た人は、そのあまりの豪華さに圧倒されて、しばらく何も言えなくなってしまうかもしれません。

それでは、「二社一寺」についてご紹介しましょう。

日光の社寺めぐり

>日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)
>日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)
>輪王寺(りんのうじ)




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point-2白川郷・五箇山の合掌造り集落

日本の世界遺産:白川郷・五箇山の合掌造り集落 白川郷・五箇山の合掌造り集落(しらかわごう・ごかやまのがっしょうづくりしゅうらく)
~岐阜県白川村・富山県南砺市~

懐かしさあふれる、三角屋根の独特な景観で、訪れる人をほっとさせてくれる合掌造りの集落。かつて、陸の孤島と呼ばれていた豪雪地域でしたが、辺境の地、豪雪、養蚕の地という厳しい環境で暮らす人々ならではの、知恵と工夫が詰まっています。

合掌造りとは、屋根の形が手を合わせたように見えることが由来だそうで、屋根の角度が60度と急なのは、雪を滑り落としやすくするためのものです。柱を縛るのに、釘や鎹(かすがい)を使わず、弾力性のある荒縄と、「ネソ」と呼ばれる植物の若木のみを使っているので、風雪や地震にも強く、国内でも豪雪地帯として有名なこの土地ならではの工夫がなされてます。

例えば、屋根に満遍なく日光を当て、南北の風を通すよう、合掌造りの窓の向きは、みな同じ方向を向いて建てられています。同じ方向を向いて佇む合掌造りの家々は、何ともかわいらしいです。家の中はどうなっているのかと言いますと、1階が、居住スペース、2階の屋根裏は現在は行われていませんが、江戸時代、養蚕のために使われていたようです。

茅葺きの大屋根は、約20~30年ごとの葺き替えが必要で主に春先に行わるようです。1軒替え終えるまでには、1週間以上の日数がかかり、大変な労力を要するため、昔の人々は互いに助け合う「結(ゆい)」という制度に基づいて村人みんなで行っていました。現在は森林組合に委託しているようですが、結の連帯感は現在も健在で、村民みんなで助け合って生活しています。

世界遺産に登録されたのは、1995年。
ノスタルジックな集落景観が、きちんと保たれていることと共に、周囲の自然環境も良好な状態で保存されていることが価値があると判断されたようです。現在も、人々は合掌造りの家に住み暮らしていることから、生活の場が、世界遺産に認定された稀有な土地です。世界遺産に登録されてから、訪れる観光客が増え、それゆえにマナーの悪さが問題となっていますので、訪れる際には、村民の方々に迷惑のかからないようにマナーに十分気をつけたいものです。

白川郷・五箇山の合掌造り集落は、主に3つの地域に分けられます。

白川郷・五箇山の合掌造り集落めぐり

>荻町合掌造り集落(岐阜県白川村)
>菅沼合掌造り集落(富山県南砺市)
>相倉合掌造り集落(富山県南砺市)




point-3古都京都の文化財

日本の世界遺産:古都京都の文化財 古都京都の文化財
~京都府京都市・宇治市・滋賀県大津市~

「794(なくよ)うぐいす平安京」、日本の歴史を学ぶとき、必ず通る年号と地名です。
京都は、794年の平安京遷都以来、1200年以上の歴史を持ち、長い間、日本の政治、文化の中心でした。それゆえに、京都周辺には2000を超す社寺や史跡が残り、その歴史を今に伝えてくれることから、国内外で多くの観光客が訪れています。

世界遺産に認定されたのは、偶然にも平安建都1200年の記念の年にあたる、1994年で、京都市、宇治市、滋賀県大津市に存在する17件の物件です。賀茂別雷神社(上賀茂神社)、教王護国寺(東寺)、比叡山延暦寺、仁和寺、宇治上神社、西芳寺(苔寺)、鹿苑寺(金閣寺)、龍安寺、二条城、賀茂御祖神社(下鴨神社)、清水寺、醍醐寺、平等院、高山寺、天龍寺、慈照寺(銀閣寺)、西本願寺が、それにあたります。

いずれも各時代を代表する建造物であり、日本国内でも最高ランクの国宝、庭園を所有し、これまでの保存状態、そしてこれからの保護にも期待できることから、厳しい審査を経て、登録に至ったようです。現在、17件に加えて、京都御所や桂離宮など数件を追加登録しようという計画もあるようです。

日本の世界遺産:古都京都の文化財 京都は、修学旅行の地としてもよく選ばれますが、その時、活用されるのがタクシーです。タクシーを貸し切りにしてチャーターするのは、少々お金はかかりますが、行きたい場所に効率よく連れて行ってもらえるため、時間も短縮できるだけでなく、観光地に詳しい運転手さんも多いため、ときには観光地の解説や、通な裏話も聞けるメリットもあり、かなりの満足度が得られるのではないでしょうか。

タクシーの種類、チャーターする時間によって、金額は異なりますが、3時間のチャーターからで大体1万円~2万円くらいです。さらに拝観料、入館料などの他、駐車場料金、高速代金なども自己負担になります。乗する人がいれば、割り勘で安くあげることができるので、なるべく多い人数で利用した方が、良いかもしれませんね。

しかし、いくらタクシーを貸し切っても、世界遺産17件を一度に全部見て回るのは、時間と労力がかかります。二県三市にわたりますので、1日ではとても観きれません。京都もまた、四季折々様々な顔を見せてくれる趣のあるところですので、何度も足をはこびたいところです。

一度には無理でも、地域別に何件かまとめて訪れることは、可能です。ここでは、地域別コースでご紹介します。


古都京都の文化財への交通アクセス

東京駅からJR東海道新幹線のぞみ号で、約2時間20分、または大阪駅から東海道本線新快速で29分、京都駅下車。


古都京都の文化財めぐり

洛東・洛北
~清水寺から賀茂別雷神社の4か所を巡るコース~
>清水寺
>慈照寺(銀閣寺)
>賀茂御祖神社(下鴨神社)
>賀茂別雷神社(上賀茂神社)

洛西
~金閣寺から高山寺の4か所を巡るコース~
>鹿苑寺(金閣寺)
>龍安寺
>仁和寺
>高山寺

洛中・洛西
~本願寺から西芳寺の4か所を巡るコース~
>本願寺(西本願寺)
>二条城
>天龍寺
>西芳寺(苔寺)

洛南
~教王護国寺から醍醐寺の4か所を巡るコース~
>教王護国寺(東寺)
>宇治上神社
>平等院
>醍醐寺

>比叡山


point-4古都奈良の文化財

日本の世界遺産:古都奈良の文化財 「なんと(710)きれいな平城京」という歴号の覚え方で知られる710年、平城遷都されてから、794年まで、日本の政治、文化の中心は奈良でした。

大陸との交流も盛んであった頃で、大陸の影響を受けて日本の文化が独自に花を咲かせ、世界史的にも、その文化的価値は大きいと見なされました。

世界遺産に登録されたのは1998年で、「古都奈良の文化財」としては、6つの名だたる古寺の他、平城宮跡、春日山原始林の8件になります。
歴史的にも土地柄、寺院が多いのが特徴です。修学旅行先としても有名な奈良、その魅力を探ってみましょう。

と、その前に...。
奈良には仏像がたくさんありますが、如来や菩薩の違いがよくわからない人も多いのではないでしょうか。ここでしっかり違いを知っておけば、奈良を訪れる際に、より面白く拝観できることでしょう。その違いを簡単にお伝えします!


如来 (にょらい)
如来とは、仏教で釈迦を指す名称のひとつで、悟りを開いた真覚に到達した者、また覚者とも訳されます。厳密には如来だけが、仏とみなされます。特徴は、頭上に盛り上ったお椀のような肉髻(にっけい)、螺貝に似た髪、髪には小さくカールした螺髪(らほつ)、額には光を放つという白い毛の白毫(びゃくごう)があり、簡単な衲衣(のうえ)とよばれる法衣をまとい、装飾品は一切つけていません。


菩薩(ぼさつ)
菩薩は仏教において、如来に成ろうとする修行者という意味で、修行中でも、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象となりました。いわば如来の候補生です。特徴は、王子であったころの釈迦などがモデルなので、飾り布や首飾りなど、華麗な装飾を付けているところです。


明王(みょうおう)
明王は、如来の教えに従わない救いがたい人間や生き物を救済するために、如来の命を受けて 恐ろしい形相になって現れた仏です。


天部(てんぶ)
天部は、仏教に帰依した神々で、仏教を信ずる心を妨げる外敵と戦う守護神。いわば仏法のボディーガードなどの役割があります。仁王、四天王、大黒天など親しみのあるものが多くあります。


古都奈良の文化財への交通アクセス

京都駅からJR奈良線みやこ路快速43分、奈良駅下車。
または、近鉄京都線・奈良線特急約34分、近鉄奈良駅下車。
または、大阪駅から、JR大阪環状線・関西本線大和路快速約46分、奈良駅下車。


古都奈良の文化財めぐり

奈良公園・奈良町
~興福寺・東大寺・春日大社・元興寺~
>興福寺
>東大寺
>春日大社
>春日山原始林
>元興寺

平城京跡・西の京
>平城宮跡
>唐招提寺
>薬師寺




point-5法隆寺地域の仏教建造物

日本の世界遺産:法隆寺地域の仏教建造物 聖徳太子ー。

この人物は、今から1400年前のわが国において、当時まだ誰も成しえなかった律令制度を整え、中国の隋とも交流を計るなど、外交制度の基盤も作り上げた偉大な政治家、思想家です。

彼がいなければ、少なからず日本の歴史は、政治面においてもう少し遅れをとっていたに違いありません。

世界遺産に認定された、法隆寺、法起寺は共に、聖徳太子にゆかりのある寺院で、1993年日本では初めて世界遺産に登録された物件になります。

6世紀以前の中国の建築様式と共通するもので、当時の文化交流を物語る、重要な建物です。


法隆寺地域の仏教建造物の所在地

奈良県斑鳩町


法隆寺地域の仏教建造物めぐり

~奈良県斑鳩町~
>法隆寺
>法起寺






point-6紀伊山地の霊場と参拝道

日本の世界遺産:紀伊山地の霊場と参拝道 紀伊山地の霊場と参拝道
~奈良県吉野郡吉野町・天川村・十津川村
和歌山県新宮市・田辺市・東牟婁郡那智勝浦町・伊都郡高野町・九度山町・かつらぎ町、三重県 熊野市・南牟婁郡紀宝町~


和歌山・奈良・三重にまたがる紀伊山地は、自然信仰より日本人の宗教心を育んだ、大切な場所です。

古くから、神々が鎮座する場所だと信じられてきた上に、仏教においても、紀伊山地自体を、俗世間とは異なる仏の世界に見立て、山岳修行の場としていました。

特別な神社や寺院ではなく、神秘的な道が、世界遺産になったのには、延々と連なる山々、深い森、清流などを崇めた、素朴で伝統的な信仰に、外来宗教が融合し、1000年以上も前か、多くの人が祈りをささげてきた聖地だからです。
2004年に世界遺産に登録されました。

紀伊山地の霊場と参詣道は、もともと巨木、巨岩、滝を神体とする自然信仰に由来し、仏教伝来後は神仏を融合した熊野信仰で知られる「熊野三山」と、修験場の故郷であり、神木としてのサクラで名高い「吉野・大峯」、さらに、真言密教を興した弘法大使空海によって開かれた「高野山」の3つの霊場と、それをつなぐ参詣道から成り立っています。

太古の昔より、人々の畏敬を集めていた元祖パワースポット、その魅力と歩き方をご紹介していきましょう。


紀伊山地の霊場と参拝道めぐり

>熊野三山
>吉野・大峯
>高野山




point-7姫路城

日本の世界遺産:姫路城 姫路城(ひめじじょう)
~兵庫県姫路市~

美しいー。
日本の城といえば、この姫路城の姿がピッタリきます。
白鷺が羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城は、1993年に、法隆寺と共に、日本初の世界文化遺産に登録されました。

明治維新以降、ほとんどの城が取り壊しになった中で、築城当時のままの姿を残す唯一の城として、国宝や重要文化財に指定されています。

日本一の名城と名高い姫路城は、4つしかない国宝城の1つで、優美な姿とはうらはらに、戦国時代の要塞として、様々な仕掛けが施され、無駄のない実用的な構造をも併せ持っているところが、もう一つの魅力でしょう。

そもそも誰がいつ、姫路城を造ったのでしょうか。
1333年、赤松則村が姫村に砦を築き、1346年、則村の子、貞範が城を建てたことが始まりですが、当時は小さな城でした。

1580年、後の豊臣秀吉になる羽柴秀吉が、西国攻略の拠点にすべく3層構造の天守閣を建て、現存する天守閣は、1601年から8年がかりで池田輝政が改修したものです。さらに1617年に、本田忠政が西の丸と三の丸を増改築し、現在の姿になりました。築城から13氏48代が城主となった姫路城は、羽柴(豊臣)秀吉など迎えた歴代城主の家紋が入った瓦によって、その歴史を語ってくれます。

封建制度の象徴でありながら、優美な佇まいをみせる姫路城ですが、過去に、売りに出された時代がありました。

明治時代、廃藩置県によって、全国各地の城は役に立たない上に、維持費がかかるという理由により、次々と競売にかけられていき、姫路城も例外ではありませんでした。実際落札された価格は、23円50銭で、現在に換算すると20万円足らずです。

日本の世界遺産:姫路城 競り落としたのは、城下の個人で、落札の理由が「城の瓦を売るため」という話ですから、大変興味深い話です。しかし、解体費用に莫大な費用がかかることから、買い取りを断念。もし、落札者が、権利を放棄してくれなければ、現在の世界遺産である姫路城は存在していなかったかもしれませんから、美しい姿も格別の思いで見ることができるでしょう。

姫路城を訪れるベストシーズンは、やはり桜の時期でしょう。

真っ白な城にピンクの桜がよく映え、約1,000本あると言われるソメイヨシノ、山桜、枝垂れ桜は、見事な美しさです。お花見時期は、数多くの露天や観桜会、夜桜観賞などで姫路城は大いに盛り上がりますので、3月下旬~4月上旬のベストシーズンに訪れたいものです。

見どころとしましては、天守閣を始め、数多くの国宝や重要文化財があるだけでなく、家康の孫娘、千姫の物語や、宮本武蔵の妖怪退治、播州皿屋敷の「お菊の井戸」など有名なものがたくさんあります。


天守閣

5層6階の大天守と、3層の小天守が渡り櫓でつながっている連結式天守閣で、国宝にも指定されています。機能、構造的にも最高級の天守閣と言われ、急な階段を頑張って登った先には 360度の大パノラマが広がっていて、城内と姫路市街が一望できます。

宮本武蔵が天守に出る妖怪を退治するよう命を受け、夜中、妖怪とにらみあい、見事追い出したという話があります。


菱の門

城内の入り口となる、二の丸付近にある一番大きい門です。
重要文化財に指定されていて、安土桃山時代の色濃い建物です。


西の丸

家康の孫、千姫の殿舎が築かれた場所で、千姫の人形が置かれ、当時の様子を再現しています。


お菊井戸

元は釣瓶取井戸(つるべとりいど)と呼ばれていました。
お家乗っ取りの陰謀を暴くため、お菊を女中として情報収集に当たらせていたことが発覚、お菊は、家宝の皿を一枚割ったという濡れ衣を着せられ殺されて、この井戸に投げ込まれたということから、現在ではお菊井戸と呼ばれています。以来、夜ごとお菊の悲しい声が聞こえるという 怪談話としても有名です。


※その他、姫路城細部の見どころをご紹介します。

・菱の門と天守を結ぶ近道の「る」の門は、人が一人入るのがやっとという狭き門。

・「ほ」門の内側にある油壁。
山土に豆砂利を加え、米のとぎ汁などで練り固めた油壁は、鉄砲の弾をもはじき返すと言われています。ほとんど白漆喰の壁の姫路城の中で、ひときわ目立ちます。秀吉時代のの名残と言われています。油壁には水の門が隠されていたり、巧妙な仕掛けが至る所に散りばめられています。

・キリシタンだった城主、黒田孝高の名残と言われる「クロス瓦」。
十字架の付いた鬼瓦も見ものです。

・塀の至る所に空いている「狭間(はざま)」は、三角や四角、丸など形も様々で、鉄砲や弓を放ったり、のぞき穴としても役割をしていました。


優美で壮麗な外観であるのに、細かいところでしっかり要塞としての工夫がなされていることに、驚くと共に感心してしまいますね。



姫路城への交通アクセス

  JR山陽新幹線・山陽本線姫路駅から徒歩15分。




point-8石見銀山遺跡とその文化的景観

日本の世界遺産:石見銀山遺跡とその文化的景観 石見銀山遺跡とその文化的景観
~島根県大田市~

大航海時代を迎えたヨーロッパにも、「石見」という名が知られたほど、日本の交易を支えた銀。 石見銀山は、大内氏、毛利氏などの戦国武将による争奪戦の末、徳川幕府が支配し、質の高い銀の増産に成功しました。戦国時代から、江戸時代の初期までは、現在の島根県太田市大森町を中心に、仁摩町、温泉津町まで鉱脈が広がる、日本最大の銀山でした。

世界遺産登録の延期勧告を受けていた石見銀山でしたが、地元島根県をはじめ、日本政府、ユネスコ日本代表部などが団結して、体制を立て直し、アピールをし続け、見事2007年、日本で14件目の世界文化遺産に登録されました。

東西の経済、文化交流の促進に、多大な貢献をし、かつ、自然豊かな環境が昔から維持されていることが、大きな評価を得て登録に至ったようですが、日本の近代化化や産業の発展に大きな貢献をしたという産業遺産としては、日本初の登録となります。石見銀山は、自然と鉱山が共存する珍しい産業遺跡です。


石見銀山遺跡への交通アクセス

JR山陽本線大田市駅から、石見交通バス26分。


石見銀山遺跡とその文化的景観は、主に3つのエリアに分けられます。 それでは、一つずつご紹介していきましょう。

石見銀山遺跡巡り(見どころ)

>大森町
>銀山地区
>温泉津(ゆのつ)




point-9原爆ドーム

日本の世界遺産:原爆ドーム 原爆ドーム
~広島県広島市~

ヒロシマという地名を、全世界が知ることになったのは、人類史上最初の原子爆弾を受けた地、という悲しい事実があるからです。

現在、原爆ドームとして知られている建物は、1915年、チェコのヤン・レツルという建築家が設計し、広島県物産陳列館という名前で建てられました。広島県の物産品を展示したり、販売したりする施設は、その後「広島県商品陳列所」「広島県産業奨励館」と名前を変えながらも、レンガ造りで、楕円形のドームが乗せられたモダンな建物として、広島の街にヨーロッパの景観が誕生したと言われ、広島の名所の一つとなっていました。

1945年、日本の数か所が原爆の投下候補地に選ばれていた中で、作戦実行当日の8月6日、晴天だった広島が投下地に決定しました。

午前8時15分、今日も暑くなりそうだと人々が朝の挨拶を交わし、また家族団らんで朝食をとり、また仕事や学校に向かい、誰もが普段通りの生活をしている、その広島の街に、重さ4tの原子爆弾が投下されたのです。

原子爆弾は、上空600mで炸裂した後、不気味なキノコ雲を発生。

熱風、爆風、放射能による脅威は約35万人と、街を飲みこみ爆心地周辺の地表温度は、4000℃にも達したと言われています。とても生物が生き残れる温度ではありません。

約20万人の命を奪い、今もなお被爆者として後遺症に苦しんでいる人もいるということは、悲しい限りです。原爆による黒い雨が降り、地獄絵図のようなすさまじい光景が広がりました。

原爆ドームも例外ではなく、ものすごい爆風と熱線により大破しました。鉄骨がむき出しの残骸となり、いつしか産業奨励館は核兵器による悲惨な過去を伝える建物として原爆ドームと呼ばれるようになりました。

原爆ドームは、これまで「悲惨な記憶を思い出すので保存すべきでない」という意見もあり、度々議論されて来ましたが、悲しく痛々しい出来事の象徴だからこそ、後世に残すべきという意見にまとまり、おおがかりな補強工事を2度行いました。

そして、広島市議会、広島市民一丸となって世界遺産への登録運動へと動き出します。

「日本は戦争を反省していない」という意見の、米国と中国が欠席する中、歴史の証人としての価値が評価され1996年、世界文化遺産として 登録されるに至りました。

ポーランドのアウシュビッツ収容所に続く、世界で2番目の負の遺産ですが、核兵器の廃絶と、人類の平和への誓いのシンボルとして世界中から人々が訪れています。原爆ドームは現在も、1945年8月6日午前8時15分の姿のまま時を刻んでいるのです。

周囲に瓦礫が散乱している原爆ドームには、入ることができませんが、原爆ドームのある広大な広島平和記念公園は、戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさを、今に伝える様々な建造物があります。

原爆死没者慰霊碑は、家形埴輪をかたどった屋根の下の石室に、約24万人の犠牲者名が記された名簿が納められています。犠牲者の霊を雨露から守ろうと家形にデザインされたそうで、献花する人が絶えることはありません。

慰霊碑を正面から見ると、一直線上に平和の灯と原爆ドームを望むことができます。平和の灯は、まるで手首を合わせ、手のひらを空にかかげたような台座の上に灯っています。昭和39年8月1日点火され、核兵器が地球上から消えてなくなる日を願って、今も燃え続けているのです。

原爆の子という像は、被ばくによる白血病のため12歳で亡くなった少女、佐々木禎子さんと、同じく原爆の犠牲になったたくさんの子供たちを慰霊するために建てられた像です。禎子さんをモデルに作られた少女た、手を大きく空にかかげ折り鶴を掲げています。この石像の周りを、たくさんの千羽鶴が囲み、千羽鶴の塔としても有名で、石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています。

広島平和記念資料館は、本館と東館に分かれていて、本館では腰かけていた人の影だけが黒く残る人影の石、焼け焦げた学生服、黒い雨の跡など、生々しい被爆資料や、被爆した人々の遺品が展示されていて、胸が締め付けられます。東館では、被爆前と被爆後の広島の様子が紹介されていて、廃墟と化した市街の模型や、写真などで、わかりやすく解説されています。

戦争が風化しつつある現在、戦争体験を語れる人も少なくなってきました。

戦争を過去の出来事と簡単に片づけて、千羽鶴を放火したり、原爆ドームの立ち入り禁止区域に入り、落書きをするような、心ない人達もいます。しかし、戦争を知らない世代だからこそ、今の平和は、戦争で犠牲になったたくさんの人々の上に成り立っている、ということを忘れてはいけません。世界で唯一の被爆国の国民だからこそ、戦争の悲惨さ、平和への祈りを、これから先もずっと伝えていかなければならないのです。


原爆ドームへの交通アクセス

JR山陽新幹線・山陽本線広島駅から広島電鉄2号線、または6号線16分。原爆ドーム前電停下車、徒歩1分。




point-10厳島神社

日本の世界遺産:厳島神社 厳島神社(いつくしまじんじゃ)
~広島県廿口市市宮島町~

日本三景の一つ、「安芸の宮島」で知られる厳島は、海上に浮かぶ神殿、厳島神社の神地として崇敬され、ほぼ原始林で構成された、美しい自然と見事な文化財が、長い間大切に保護されてきました。

1996年「人類の創造的天才の傑作を表現するもの」をはじめとした4項目の基準を満たし、世界文化遺産に登録されました。登録されたのは厳島神社の社殿のほか、大鳥居、背後にそびえる弥山も含まれています。

厳島は、観光地として有名ですが、古くは、人が住んではならない神聖な島だったようで、今も もちろん船でしか辿りつけません。島自体が御神体なのだから、御神体には杭は打てない、だからこそ、波打ち際に神社が建てられたと考えられています。

厳島神社の歴史は、推古天皇即位元年にさかのぼります。6世紀末に社殿が創建され、平安時代の1146年、平清盛が、29歳で安芸守に任命され、清盛の厳島信仰が始まりました。平家を始めとして、朝廷や公卿(公家の中でも最高幹部として国の政治を担う職位)の参詣も相次ぎました。

厳島神社といえば、平家ゆかりの社と覚えている人も多いでしょう。
平清盛は1168年、厳島神社を大造営し、貴族の住居、寝殿造りの社殿を造り上げ、現在のような規模の神社となりました。平家は1185年、壇ノ浦で滅亡してしまいますが、その後も朝廷や源氏などが崇拝し、室町時代には毛利氏が社殿や鳥居などを大修復し、発展に寄与しました。

日本屈指の名社、厳島神社のみどころは、なんといっても潮の干満で、ガラリと表情を変える社殿の景観でしょう。

干潮の時は、社殿の足もとまで見ることができ、海藻や貝が拾え、180m沖の大鳥居まで歩いていくこともできますが、満潮になると、大鳥居はもちろん、社殿全体もあたかも海に浮かんでいるように見え、物語に出てくる竜宮城のようです。

日本の世界遺産:厳島神社 ぜひ満潮の時の姿を見てみたいものです。
しかも、大鳥居や社殿の柱は土中に埋まっていないというから、驚きです。簡単に言うと、土台になる石の上に、柱が載っているという構造で、自らの重みだけ建っているというわけです。大鳥居は何度か建てなおされて、現在は8代目にあたるそうですが、社殿は800年以上も、海水にさらされてながらも荘厳で華麗な姿を保ち続けているのですから、支えている柱は、相当しなやかで強い木なのでしょう。日没から深夜まで、ライトアップされていて、とても幻想的な雰囲気を醸し出し、優美で美しい姿に、平安時代の栄華を感じさせてくれます。

参詣入口から東廻廊に入り参拝、さらに西廻廊へという順路になっており、それぞれ壁がなく廻廊で結ばれている境内は、翼を広げた鳳のように優雅です。国宝や重要文化財に指定されている建造物も多く、見どころもたくさんあります。

大鳥居は、厳島神社のシンボル的存在で、重要文化財に指定されています。
クスノキの自然木で作られた朱塗りの美しい大鳥居は、奈良の大仏様とほとんど同じ高さで、干潮のときには、陸続きになり、そばで見ることができますが、満潮で離れてみる方が、美しさが際立って見えるでしょう。

満潮時には、鳥居をくぐる参詣遊覧船なども運行していますので、ゆっくり優美な姿を堪能したいという方にはおすすめです。

国宝に指定されている本殿は、大鳥居と同じく朱塗りで実に鮮やかです。
日本でも珍しい、「両流れ造り」とう建築様式で、建物全面だけでなく、背面にも背面にも庇を設けた形になっていて、裏側から見ても、重厚で荘厳な佇まいに圧倒されます。

その他にも、厳島神社には、ぜひ見ていただきたいスポットがいくつもあります。

▼平舞台
管弦祭の際に使われる火焼前(ひたたき)という部分を含み、寝殿造りの庭のような場所です。

▼高舞台
国宝に指定されている高舞台は、本社祓殿の前にあります。平安時代に作られたもので、舞楽が演じられます。

▼廻廊
幅4m、長さ275mもの廻廊は、一直線に伸びている様子がとても迫力があります。床板に目透しという隙間があり、海水が高潮で押し上げられる圧力を弱める効果があるようです。


厳島神社周辺の見どころ


厳島神社(いつくしまじんじゃ)への交通アクセス

JR山陽本線宮島口駅から、徒歩3分で宮島口桟橋、連絡船10分で宮島島桟橋。
宮島島桟橋から厳島神社入り口まで徒歩20分。




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