スポンサードリンク

解説石見銀山遺跡巡り~銀山地区

  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • FC2ブックマークに登録する
  • Buzzurlブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する
  • ニフティクリップに登録する
実際に銀を発掘していた銀山地区には、坑道(間歩(まぶ))も多数残っていて、その数、500にものぼるということです。

石見銀山を訪れたら、この間歩を見ないでは帰れません。電気もなかった時代、人の手だけでここまで掘り進め作業をしていたのかと思うと、感動すらおぼえることでしょう。

中でも龍源寺間歩は、早くから一般公開されていて、一部しか公開されてはいませんが、通り抜けできるコースには、当時のノミの手掘り跡も残されていたり、石見鉱山絵巻が展示されていて、 作業の様子を知ることができます。

さらに、石見銀山最大の間歩である大久保間歩が、2008年よりツアー限定で公開されるようになりました。初代奉行・大久保長安の名をとった大久保間歩は、江戸時代長安が槍を持ち、馬に乗ったまま坑内に入ったとされ、天井の高さが最も高いところで5mにもなります。手掘りの跡から、明治時代の削岩機、トロッコの走った跡など、技術も少しずつ変化していったことが、痕跡により確認できます。

また、仙ノ山頂上付近には、人口の平坦地が広がっていて、精錬所や住居の跡と思われる石垣があったり、人が住んでいた証拠となる井戸などもあります。銀山区域は、当時産業都市として栄えていたという証拠を随所に散りばめているのです。

>世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」について


TOPPAGE  TOP