首里城
那覇市街を一望できる丘に築かれたグスク、首里城(しゅりじょう)。
三山対立時代では、中山国王の居城でしたが、1492年琉球王国が統一された後、琉球国王の居城として栄華を極めました。
1879年、明治政府によって琉球王国は消滅し、それに伴い首里城も城としての機能を失います。さらに1945年第二次大戦末期、沖縄戦で消滅。しかし1992年に、かなり完全に近い形で復元され、現在は、首里城公園として親しまれています。
まず、有名な守礼門がお出迎えしてくれます。
四本の柱に、赤瓦の二重の屋根をのせた、中国様式の美しい門です。二千円札に描かれていることで有名で、沖縄のシンボル的存在です。
首里城正殿は、政治や儀式が行われた首里城の中心部です。
色鮮やかな赤色、豪華な建物に圧倒されてしまいます。正面に見える色鮮やかな龍の彫刻、屋根の左右に掲げられた龍の頭、そして33本ある大龍柱と呼ばれる柱と、国王の象徴である龍が、いたるところに見られます。日本、中国、琉球独自のテイストが混ざり合い独特の建築様式となっていて、日本の城とは、全く違う趣です。
正殿、今は売店などがある北殿、美術工芸品や歴代国王の肖像画などが展示されている南殿、正殿へ通じる最後の門で出入り口が三か所ある奉神門に囲まれた広場が、御庭(うなー)と呼ばれています。
御庭もまた特徴的で、中央にのびる浮道と呼ばれる道は、国王や、使者のみしか通ることの許されない神聖な道で、浮道の左右に続く、赤と白の縞模様は、儀式の際に、諸官が目印になるように色分けされているということで、とても鮮やかです。
他に、とても小さいものですが、龍桶(りゅうひ)と呼ばれる彫刻があり、龍桶だけは、約500年前に中国からもたらされた、唯一当時のものです。本当に小さいので、見逃されがちですが、時間があれば、ぜひ探してみてください。
三山対立時代では、中山国王の居城でしたが、1492年琉球王国が統一された後、琉球国王の居城として栄華を極めました。
1879年、明治政府によって琉球王国は消滅し、それに伴い首里城も城としての機能を失います。さらに1945年第二次大戦末期、沖縄戦で消滅。しかし1992年に、かなり完全に近い形で復元され、現在は、首里城公園として親しまれています。
まず、有名な守礼門がお出迎えしてくれます。
四本の柱に、赤瓦の二重の屋根をのせた、中国様式の美しい門です。二千円札に描かれていることで有名で、沖縄のシンボル的存在です。
首里城正殿は、政治や儀式が行われた首里城の中心部です。
色鮮やかな赤色、豪華な建物に圧倒されてしまいます。正面に見える色鮮やかな龍の彫刻、屋根の左右に掲げられた龍の頭、そして33本ある大龍柱と呼ばれる柱と、国王の象徴である龍が、いたるところに見られます。日本、中国、琉球独自のテイストが混ざり合い独特の建築様式となっていて、日本の城とは、全く違う趣です。
正殿、今は売店などがある北殿、美術工芸品や歴代国王の肖像画などが展示されている南殿、正殿へ通じる最後の門で出入り口が三か所ある奉神門に囲まれた広場が、御庭(うなー)と呼ばれています。
御庭もまた特徴的で、中央にのびる浮道と呼ばれる道は、国王や、使者のみしか通ることの許されない神聖な道で、浮道の左右に続く、赤と白の縞模様は、儀式の際に、諸官が目印になるように色分けされているということで、とても鮮やかです。
他に、とても小さいものですが、龍桶(りゅうひ)と呼ばれる彫刻があり、龍桶だけは、約500年前に中国からもたらされた、唯一当時のものです。本当に小さいので、見逃されがちですが、時間があれば、ぜひ探してみてください。
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